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【山車】桜町第5場 高ヒット [地図表示]
2014-1-10 8:54 投稿者: admin (記事一覧) [ 2928hit ]

[2014]軍師 黒田官兵衛 小牧・長久手の戦いの場

coming soon 黒田官兵衛は、天文十五年(1546)播磨(兵庫県)姫路城主の嫡男として生まれた。22歳の若さで家督を継ぎ、主家小寺氏の家老となった。戦国時代が終わりに近づく中、播磨の一家老から信長・秀吉・家康三人の天下人と渡り合った、戦国最強の軍師である。
天正十年(1582)六月、本能寺の変の報を聞いた官兵衛は、羽柴(後の豊臣)秀吉を天下盗りへと向かわせ、伝説の「中国大返し」を成功させる。天正十二年(1584)天下盗りに邁進する秀吉は、最後の難関である徳川家康と尾張(愛知県)で激突する。後に天下人となる両雄唯一の対決「小牧・長久手の戦い」 である。九ヶ月に渡る対峙の末、織田信雄が家康に無断で講和に応じたため、家康は戦いの名文を失い秀吉に臣従する。官兵衛はこの戦いを含め、参謀として秀吉の天下統一を演出するのである。
「人は殺すより使え。」という絆を大事に家臣団をまとめ、敵をも魅了する、現代日本でも出現が望まれる戦国武将であった。享年59歳。

[2013]「八重の桜」 戊辰戦争 会津鶴ヶ城の戦いの場

新島(山本)八重は弘化(こうか)二年(1845)会津藩(現会津若松市)で砲術(ほうじゅつ)師範(しはん)の父・権八、母・佐久の間に生まれる。裁縫を習う一方で、幼い頃から男勝りな性格で家業の砲術に興味を示し育った。「ならぬ事はならぬ」の 会津学問の教えなど生涯を通じて会津人の誇りを持ち続けた人物であった。
慶応四年(1868)、旧幕府軍と新政府軍による戊辰戦争が始まる。会津藩主松平容保(かたもり)は新政府に恭順の意を示したが受け入れられず、賊軍(ぞくぐん)とみなされ会津総攻撃となる。鶴ヶ城の籠城(ろうじょう)戦において、八重も男装し銃を持って戦うが、一ヶ月に及ぶ戦いの後ついに城を明け渡した。八重の働きは「幕末のジャンヌ・ダルク」と語り継がれるほどであった。
その後、同志社大学創設者の新島襄(にいじまじょう)の妻となり、襄亡き後は日清・日露戦争で篤志(とくし)看護婦として傷病者を助ける奉仕活動に従事し、勲章を授けられる。昭和七年(1932)八重は87年の生涯を閉じる。幕末の動乱で全てを無くしたところから、新しい世界へ踏み出した会津人の生き方は東日本大震災からの復興を目指す今と重なる。

[2012]「平清盛」源平合戦 壇ノ浦の戦いの場

平清盛は平安時代末期の元永(げんえい)元年(1118)伊勢に生まれる。十八歳の時、父忠盛(ただもり)とともに海賊退治をし、三十六歳で平氏の頭領となる。貴族の時代に武家である平氏の地位を確かなものにした。
元暦(げんりゃく)二年(1185)三月二十四日、平氏最後の戦いは長門国(山口県)壇ノ浦で行われた。
総大将は清盛の子知盛(とももり)、相手は源義経である。平氏は門司(もじ)側(北九州)、源氏は赤間関(あかまのせき)(下関)に布陣する。朝六時、平氏軍五百艘(そう)、源氏軍八百四十艘の水軍による大海戦が始まる。潮の流れは東に向かい平氏に有利、勢いに乗り義経を討ち取ろうと攻めかかる。午後三時頃、潮目は源氏有利に流れ始め形勢は逆転、平氏の武将たちは戦意を失い次々と海へ身を投げる。こうして清盛が太政大臣(だいじょうだいじん)になってからわずか十九年で平氏の栄華は終わる。
壇ノ浦の戦いの四年前、治承(じしょう)五年(1181)清盛は病で死去している。享年六十四歳、幕末期まで続いた「武士の世の中」を切り開いた人物であった。

[2011]「江〜姫たちの戦国〜」第二次上田合戦の場

江は近江国(滋賀県)の戦国大名浅井長政とお市の三女として生まれ、後に徳川二代将軍秀忠の妻となり、「天下の御台所」と呼ばれる。長姉は豊臣秀吉の側室茶々(淀)、次姉に京極高次の妻として徳川家と豊臣家の間で奔走した初、戦国時代を代表する三姉妹であった。
慶長五年(1600)上田城において、徳川軍三万八千人、真田軍三千人が激突する。
関ヶ原決戦に出向く秀忠軍を足止めする目的で真田軍が立ち向かった。一旦降伏を受け入れるように見せかけて時間を稼ぎ、挑発する徳川軍を上田城に誘き寄せ一斉に矢玉を浴びせ撃退。敗走する徳川軍の背後から幸村軍が襲う。手薄になった秀忠の本陣を伏兵が急襲し、徳川軍を大混乱に陥れ、神川まで敗走させる真田軍の大勝利であった。秀忠は上田城の攻略を諦め中山道を西上するも関ヶ原の戦いに間に合わず家康から叱責される。
江は秀忠との間に二男五女を儲け、長男は幼名竹千代、後の三代将軍家光。二男は国松といい、江の死後悲運の死を遂げる。江は享年五十四歳であった。
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